娘の妊娠がわかってから、ということは二年半ぶり、くらいにビールを飲んでいます。
3月末に引っ越しをしようと思っていたのだけど、今日二度目の内見に行き、諸々のコストを天秤にかけた結果、引っ越しはしないことにしよう、と決めました。 候補に挙がっていた物件は、今のところより家賃+管理費で15,000円ほど上がり、加えて引っ越し先の自治体では保育料が今よりも最大10,000円ほど上がり、それに引っ越しの初期費用、引っ越し業者に払うお金、などがある。とりあえず二年間のスパンで考えてみると軽く百万円を超える出費となり、それに引っ越しの時間や労力や慣れるまでのストレスがかかる、保育園もどんなところかわからない(一応見学には行って変なところではないだろうけれど、今の保育園がとても良いところと思っているので)、そして私のうつで通っている病院もすごくいいところなので遠くなるのもどうかなあ、という感じ、とここまでが引っ越しにかかるコストとしてあった。 一方で、引っ越しをすると夫と私の通勤が多少楽になるのでは?と思っていたけれど、保育園や駅へのアクセスを考えると負担感はそこまで変わらなそうで(というのは保育園の選考の結果駅からそこそこ遠いところになってしまったこと、そしてペット可の物件を探すとかなり限られ、保育園からも駅からも遠いところしか選択肢がなかったこと、などによるのですが)、また、ゆくゆくは引っ越し先の辺りで中古マンションでも買ったらいいんじゃないかと思っていたので、土地勘をつかむためにもまずは賃貸で済んだらよいのではないかと思っていたけれど、一、二年でマンションを買ってまた引っ越すことになるなら、別に今引っ越すこともないんじゃないか、今のところに住みながら中古マンションを探してもいいのではないか、ということになりました。 保育園児がいての引っ越しというのは思っていた以上に制約がある、ということがわかった一件でもありました。なにしろ共働きなので保育園に預けられるという確証がない限りはおちおち引っ越しもできない。いざ引っ越して保育園に入れなければ、その間仕事はどうするの?辞めるの?という話になるわけで、私の採った戦略としては、4月入園のタイミングで保育園に申し込みをする(この際、市外からでも減点なしで申し込みができる自治体を調べました)。4月以外のタイミングだと保育園内定から入園までが短いのですが、4月入園の場合は2月下旬に選考結果がわかるので、それから引っ越しも可能なのでは、と思ったわけです。で、入園する保育園が決まってからその周辺で家を探して3月中に引っ越し(3月末までに住民票をうつさないと保育園の内定は取り消しになるらしい)、という段取りを考えていたのですが、まあ結果的には上記の理由で引っ越しはしないことに決めたのですが、これもまあ経験としてはよかったということにしておきます。 目標としては今後早めにマンションを買って引っ越ししたいなと思っていますが、とりあえず百万円が浮いたのでおいしいものでも食べていいかな。 それから今日は通っている心療内科でカウンセリングと診察があり、そちらで決まったこともあってなんかビールでも飲もうかな、という気持ちになったのですが、娘1歳10か月、卒乳はまだしていないのですが、夜間断乳は一か月ほど前に完了したので寝かしつけてからのビール一杯くらいはいいかな、と思い、妊娠以来のビールを飲んで、だらだらと日記を書いてしまいました。
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by grapevine30
| 2020-02-29 23:22
前回の投稿から二年近く経ちました。娘は1歳10か月になり、元気に成長しています。
私はというと、産後間もなくから鬱になり、今も服薬中です。 産後うつというのは出産した女性の10人に1人がなるという話もあり、そんなに珍しいものでもないようです。 私自身、PMSが結構重かったこともあり、出産前からメンタルの不調は遠くないところに感じてはいましたが、実際に産後うつと診断される状態になってみるとやはりつらいものです。娘が1歳10か月ということは、同じだけ私のうつも続いているということで、これは決して短くはない期間だと思います。 いや、思い返してみると、妊娠中から夫にイライラしたり、ちょっとしたことが億劫だったりと、うつの兆候はあったような気もします。当時はそれを妊娠のせいだと思っていましたが、今から思うとその気分の状態と産後うつは連続性があるようにも思う。 生活から楽しさや充実、喜びが失われるというのはつらいものです。娘はもちろん可愛いし日々成長しているのだけど、それを享受できる自分の心がない。過去のことを思い出して、あの時違う選択をしていたら今頃こんなにつらくなかったのに、と思ってしまうのもまたつらいです。 いつかこの状態から抜け出せる日が来るのか、これがずっと続くのか、今のところ私にはわかりようがありません。なんだか人生のどん詰まり感があって、これから先、歳をとって先細って死んでいくばかりで、親孝行もできず、子どもも幸せに育てられるかわからず、この先いいことは全然ないのでは?という気がしています。 例えばふだんの生活で、何かちょっと心配なこととか悩み事があり、そのことを忘れている時でもふと心がざわざわっとする。なんだっけと考えてみると、「ああ、あのことがあったんだった」と思う。そういうことは多くの人が経験があるのではないかなと思いますが、うつの状態というのは、特に何があるというわけでもなく、「こころがざわざわ」の状態がずっと続いているようなものです。何かというと涙が出てしまって困っています。 もしこれを読んでくれている人がいたら、ありがとうございます。とりとめもないですが現状を書いてみました。
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by grapevine30
| 2020-02-24 20:28
4月5日(木)、妊婦健診。NST、エコーのあと内診があり、「子宮口が2~3センチ開いてるからそろそろ生まれるかも」と言われる。「(出産の時間は)初産婦さんにしては早そう。15時間はいかないと思う、10時間くらいかな」とのこと。「次は来週の土曜日でいいですか」「土曜日でいいけど、その前に生まれるんじゃないかな」
4月6日(金)、昼頃におしるし。夕食に筍ご飯を炊く。戌の日参りをした神社でもらったお米、産まれる前に食べないとご利益ないのでは…と思い、使用。22時前後から何度かお腹の張りがあり、念のため間隔を計る。 4月7日(土)、日付が変わったころからお腹の張りが10分間隔くらいになる。トイレに行くとふたたびおしるし。痛みはそれほどでなく、生理痛よりは全然軽くて耐えられるくらい。入院バッグなど確認。 2時21分、病院に電話。「陣痛っぽいのがあって10分を切るか切らないくらい、でも痛みはそれほどではなくて全然耐えられるんですけど…」「もう少し様子を見ましょうか、眠れるなら寝て、痛みが強くなってきたらまた電話ください」と言われ、寝る。 7時過ぎ、起きて朝食を食べる。張りの感覚を計ると10分を切ったり切らなかったり、という感じ。8時前に再び寝る。 12時頃、起きて昼食を食べる。張りは10分を切るくらいだけど、痛みが強くなってはいないような?布団に入って小説を読んでいるうちに寝る。 14時過ぎ、目が覚めておやつを食べ、歯磨きをしてトイレに行って、などしていると、水が流れるような感覚が。 14時41分、病院に電話。「寝たり起きたりしててよくわかりませんが、陣痛は10分を切ったり切らなかったり…?水が流れたような感じがあるけど、破水なのか水っぽいおりものなのかよくわかりません」「それは電話ではわからないので、とりあえず入院の準備をして来てください。出産まで時間がかかりそうだったら立ち会いの人にはいったん帰ってもらうかも」。 15時過ぎにタクシーが来て、病院に着いたのが15時20分くらいか。タクシーを待つあいだに陣痛が強くなってきて(というか寝てたから痛みに気づかなかった?)、痛みがあるときは歩けないくらいに。間隔も10分より短くなっていたと思う。 病院に着いて破水が確認され、分娩室で内診をしてから陣痛室へ。内診してくれた助産師さんが「子宮口がぺらぺらなので早く生まれると思いますよー」と言ってくれ、「ぺらぺら?とは??」となるも、痛みのため質問するのも面倒でスルー。 無痛分娩を希望していたので、麻酔を入れるタイミングを計るためNST(ノンストレステスト、お腹の張りと胎児の心音を計測する装置)を装着する。麻酔が入るまで、と思いしばらく痛みに耐えていると、また助産師さんが来て「お腹の張りがうまくキャッチできていないみたいなので付け直しますね」と言われ、今までの痛みなんだったの…と思わないでもない。 病院には分娩室が2室、陣痛室は1室をパーテーションで区切って分娩台が2台、それぞれ数歩ずつの近いところにあるのだけど、陣痛室の外からずっと、ほかの産婦さんの「いたーい!」という叫び声が聞こえてくる。私は叫ぶよりは黙るかうなるかして痛みに耐えていたので、「この痛みは序の口で、これからあんなに叫ぶくらい痛くなるのかな…」と他人事のように思う(でも最後まで叫ぶことはなかった)。ちょうど実家の母からメールが来ていたので、入院した旨連絡。父、姉とのlineグループにも連絡を入れる。 このあたりで陣痛の痛みは生理2日目の重い時くらいになっていて、軽く吐き気もあり、分娩室が明るいのもつらくて布団にもぐっていると、別の助産師さんが来る。分娩後に風疹のワクチンは打ちますか、と聞かれたので、打ちます、と返事(妊娠前にも風疹ワクチンは打ったのだが抗体が付かなかった)。 先の助産師さんがまた来て、「張りが規則的に来てるので、麻酔を入れましょう」とのこと。処置のため分娩室に移動。分娩台に寝て、腕に点滴の針を刺し、背中にも局所麻酔の針と麻酔の管を刺すのだけど、この処置がそれはそれで結構痛かった。院長の先生が処置してくれたので、「生まれるときってこれより痛いんですか」と聞くと、「もう少し痛いかな、でも今までも結構痛かったと思うよ」と言われる。「こんなの痛いうちに入らないよ」とか言われなくてよかった。 車椅子で陣痛室に戻り、院長先生が麻酔を入れてくれて、夫にも説明してくれる。「麻酔が入ったので少し休憩できるかな、進みは早いけど生まれるまであと5時間くらい?」。後で聞くと、この時17時ごろだったらしい。 無痛分娩については、川上未映子さんの「きみは赤ちゃん」というエッセイの中で自身の出産のことが書いてあり、川上さんは無痛分娩を選択しつつも最後は帝王切開で出産されたのだけど、そのなかで「痛くなったらシャーペン型の麻酔の機械を自分で押すと、お腹が張っている感覚だけが残ってみるみる痛みがひいていく」と書いてあり、麻酔すごいな…と思っていたのだけど、私の場合はそれほど顕著なものではなく、医師が麻酔を入れてくれて、15分くらい経ったら聞いてきますよ、というものだった。これは病院の方針もあるのだと思う、私の産んだ病院は「いきめる力を残して麻酔を入れます」みたいな説明だったので。 ふたたびNSTの機器を付けて陣痛室で横になっていると、NSTから聞こえる赤ちゃんの心音がゆっくりになり、機械でも心拍数を表示する緑色の数字が赤色になっている。あれ?と思うとまた元の速さに戻るものの、またゆっくりに。あれ、心拍遅くなってる?助産師さん呼んだほうがいい?(このとき陣痛室には私と夫だけだった)でもNSTってナースステーションで助産師さんもモニターしてるよね?と思っているうちに、助産師さんが駆け込んできて、PHSで院長に「サチュレーション出ちゃったので来てください」と言っているのが聞こえる。そのうちに心拍も遅くなることはなくなり、赤ちゃんも元気ですよ、と言われる。よくわからないけど麻酔が入ったので一時的に心拍が低下したのかな? その時に内診もしたのだったか、子宮口がかなり開いているらしく、「陣痛室に移動したばっかりだけど分娩台に行きましょう」と言われ、ふたたび車椅子で分娩台へ。麻酔を入れてから15分も経っていなかった。 分娩室には分娩台が2台あり、パーテーションで区切られていて見えないものの声は聞こえるような構造で、私が分娩室に入った時には隣のベッドに既に人がいて、先ほどから聞こえていた叫び声もこの人だろうな、と思った。私が分娩台で陣痛をやり過ごしているうちに隣ではお産が進んでいるようで、助産師さんが「声は出さないで、もったいない!」「固いうんちをする感覚で!」と言っているのが聞こえ、ほうほう、と思いながら聞いていた。 その間私は痛みに耐えながらしばらく待っていて(あとから聞いた感じだと隣の分娩で人手もいっぱいだったのか)、痛みも強くなってきて、もう1回くらい麻酔入れてほしいな…と思い、しばらくすると先生が来たので「結構痛いです」と伝えてまた麻酔を入れてもらう。 どうやら子宮口も全開のようで、助産師さんたちも来て「いきみましょう」と言われる(隣の分娩が進まないのでこちらを先に、ということだったのかもしれない)。ネットの情報などでは、子宮口が開ききっていないのでいきみたいけどいきめない、という、いわゆる「いきみ逃し」がつらかった、と聞くので、それをしていない私は拍子抜けして「もういきんでいいんですか」と聞くと「いいですよ」とのこと。助産師さんの指示にしたがっていきむ。 陣痛の合間に先生が「腹圧をかけて」というので「おなかに力を入れるんですか」と聞くと、「胸いっぱいに息を吸って、深く潜るような感じ」と言われ、その通りに。「赤ちゃん下りてきてますよ」と言われてもよくわからず、陣痛の波が来た時に2息分ずついきみ、「あと何回かいきんだら産まれますか」と聞くものの返事はよくわからなかった。先生が「吸引の用意もしてるから、最後は吸引もできます。でも自力で産めるならそのほうがいいから」と言い、少し安心。最後は会陰切開、いきむタイミングで吸引してもらい、必死でいきんでいるうちに頭が出たらしく、助産師さんが「肩出ます」と言ったあとで何か出てきた感覚があった。出生は18時20分、病院について3時間ほどの安産で、先生からも「初産婦さんではちょっとないくらい安産」と言われた。 若干放心して目を閉じていたら、「目開けて、赤ちゃん来ますよ」と言われ、赤ちゃんを抱かせてもらう。助産師さんたちの「そんなに大きくないと思う、3000ないくらい?」という会話が聞こえる。赤ちゃんはすぐに足首にバンドを付けられ(取り違えたら大変だもんね)、体重を測定。私はまた何か出る感じがあって、先生が「胎盤18時23分」と言っていた。その後、会陰の縫合などの処置をして、赤ちゃんを抱っこさせてもらったりしつつ、しばらく分娩台で休む。「おっぱい飲ませてみますか」と言われ、赤ちゃんにおっぱいをくわえさせたのだけど、吸い付く力が強くて、ここではじめて「痛い」と叫んでしまった。 隣では院長先生が産婦さんの夫に説明をしている声が聞こえ、どうやら帝王切開になったらしく、私が休んでいるあいだに処置をしているみたいで、産まれてベッドに寝かされた赤ちゃんもちらりと見えた。先生から「ばたばたしてすみません」と言われ、そんなものだと思っていたので全然気にしてなどいなかったのだけど、なんだかこのころはお産が多かったらしく、私の入院中に「あと一人で満床、こんなことはめったにない」というのを聞いた。 産後は縫合した傷跡が痛かったり(ロキソニンと円座で乗り切った)、赤ちゃんが乳首を吸うのが痛かったり(これは搾乳した母乳を哺乳瓶に入れて赤ちゃんにあげる、という方法で解決された、でも少しして直接母乳をあげてみたら、お互い慣れたのか意外といけるのでは?と思い、しかもその都度搾乳機を使って洗って消毒して、って結構面倒くさいので、搾乳機はほとんど使っていないのだけど、でも痛かったときは「母乳無理なのでは?」というくらい痛かったので、搾乳機の存在は光明であった)しましたが、無事に退院し、赤ちゃんと暮らしています。 私は生理痛も毎月重すぎて死にそうだし、陣痛の痛みも怖くて無痛分娩にしましたが、無痛分娩は全くの無痛になるわけではないけど、陣痛の痛みは今までで一番重い生理痛よりは痛くなかった。今までで一番重い生理痛、って救急車呼んだやつですが…。でも、少なくとも今どのあたりにいるのかがわかり、向かっているところもあるので、生理痛よりもつらくなかった。もちろん人によるのだと思います。とりあえずは無事に生まれてくれてよかったです。安産で元気に生まれてくれてありがとう。
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by grapevine30
| 2018-04-21 10:53
パラレル 長嶋有 タンノイのエジンバラ 長嶋有 考える人 2009年11月号 活字から、ウェブへの…考える人 2010年8月号 村上春樹ロングインタビュー のうみそGOODハッピー CHARA こころ 夏目漱石 発達障害 岩波明 沖で待つ 絲山明子 よるのふくらみ 窪美澄 廃墟の美学 谷川渥 本の音 堀江敏幸 自閉症スペクトラムとは何か 千住淳 キレる私をやめたい 田房永子 ねこくま、めしくま ナガノ 臨月に入って仕事も休み、家事などしています。 お正月に実家から持って帰ってきた長嶋有さんの本などを読んだり、古本屋さんで適当に小説を買ったり、発達障害については新書を買って読んだり。絲山明子さんも窪美澄さんも生々しさが共通している、面白い。「ねこくま、めしくま」のナガノさんはツイッターでねこイラスト、ごはんイラストをアップされている方で、大変癒される。発売日に買いました。癒された。
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by grapevine30
| 2018-03-27 15:27
かなわない/植本一子
螢・納屋を焼く・その他の短編/村上春樹 羊をめぐる冒険(上)(下)/村上春樹 女は笑顔で殴りあう/瀧波ユカリ、犬山紙子 ここは退屈迎えに来て/山内マリコ 死の棘/島尾敏雄 海辺の生と死/島尾ミホ 買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて/山内マリコ 9条どうでしょう/内田樹 ほか 母ではなくて、親になる/山崎ナオコーラ 日常学事始/荻原魚雷 百鬼園随筆/内田百閒 新しく買ったり、図書館で借りたりしたので、読んだ冊数の割に本棚は整理されない今月。 「羊をめぐる冒険」は大学生の時、何かの流れですごく頭のいい先輩に貸したら、返してくれたときに「〇〇って話だったね」と言われて、なんとなくの雰囲気だけで話の流れを全く理解していなかった私は「え、そういう話だったの!?」となった記憶があるのだけど、何しろそのとき先輩が何と言ったのかさえもう覚えていない。でも久しぶりに読んだらとても面白かったです。最後は黒服もろとも爆発してしまったのだね…。 「ここは退屈迎えに来て」、雑誌で山内マリコさんの新刊インタビューを見かけて、そういえばデビュー作のこれは読んでないかも、と思って図書館で借りたけど、読んでみたら全編読んだことがあった。買った記憶はないからその時も図書館で借りたのかな…? 前後して「買い物とわたし」も古本で見つけたので買ってみたけど、同世代のリアルお買い物エッセイ、面白かった。 「死の棘」「海辺の生と死」もとりあえず図書館で、「海辺の生と死」の美しい出会いからの「死の棘」、たいへん読み応えがありました。
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by grapevine30
| 2018-02-10 20:04
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